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◆ナオミの充填物語 ビフォー・アフター◆ VOL.0144 2019年4月号  
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「 人生がシフトをした 」


私の人生の中でトランスフォーメーション=シフト(自分の価値観が変わり、
今までとは違う生き方になること)が起きたことが2回あります。

1回目は、2人の子どもが不登校のときです。
それまでの私は、子どもは学校へ行くのが当たり前という価値観の中で
生きてきました。

子どもの不登校は、その価値観を壊してくれました。
2年と言う長い年月をかけてようやくその価値観を手放したとき、
私は本当に自由になりました。

もう生きていてくれればいい。
子どもはただ学校へ行っていないだけ。
学校へ行くことも行かないことも、どっちでもよくて、
彼らが自分の人生を自分で決めて生きていけばいい。

そんな風に思える自分にシフトした瞬間、私を縛っていた価値観から開放されました。

それまでの私は被害者になっていました。私は悪くない・・・。
そして、子どもたちの立場に立っていませんでした。

シフトしたときに、私の横暴さ、自分勝手さで
子どもたちの自由を奪ってきたのかと思うと、
本当に申し訳ない気持ちになりました。

その瞬間のことは、今でも忘れられません。
子どもへの感謝の気持ちと謝罪の気持ちが入り混じって、
号泣していました。

私はそのときから、子どもに対してのあり方が変わりました。
そして子ども以外の人にもこうでなければならないと
思っていた気持ちが薄れて行きました。
人はみんな違っていて当たり前。
自分の正しさを押し付けない。
そんな自分になれたことは本当にありがたいことでした。

2回目のシフトは、去年でした。
私はあることがきっかけで、父へのわだかまりが完了しました。

父は85歳で2年半前に亡くなりました。
私と父は、思春期のころからずっとうまくいっていませんでした。

父が設立したナオミに入社してからも、ぶつかることが多く、
父に対して私は良い感情を持つことが全くできませんでした。
私を分かってくれない父に対して怒りが常にありました。

お葬式のときも、悲しいと言うよりも終わったなあと言う気持ちでした。
そして父に対して、一生こんな気持ちのままで変わることも
ないんだろうなあと思っていました。

しかし、父へのわだかまりが完了する日が去年の秋に訪れました。
そのときも突然でした。

ある人に「親は自分の子どもが不幸になってほしいなんて思ってはいない」と
言われた瞬間、私は、自分の勝手な解釈で父をそれまで嫌な人間として
作り上げていたことに気付いたのです。

父のせいにして、自分は被害者になっていました。
いつも父に対して怒っていて、拗ねていました。

私はずっと父に大事にされたことがないと思っていました。
父は自分のことを優先する自分勝手な人間だと思っていました。

ひどい言葉を投げつけられたこともたくさんありました。
話を聞いてもらった記憶もありません。
ナオミでの仕事の中でも、いつも叱責されて、認めてもらうことはありませんでした。
約束は反古されることも多く、父の身勝手さに振り回されていました。

だから私は父と話をするときに、きつい口調で答え、しかも笑うこともなく、
早く終わればいいのにと、父の長い話にいつも閉口していました。

けれども、シフトしたとき、父が私にしてくれたことをいろいろと
思い出したのです。

父はナオミの前にも会社を経営していました。
50年ほど前、その会社は高度成長期で業績が良く、
父は海外にも市場を求めていました。

海外に行くためにNHKのラジオ英語を毎日聞き、英会話を
マスターして当時海外に行く人が少ない中、アメリカ、中南米、
アフリカ、ヨーロッパなど一人で全世界を渡り歩いていました。

今考えれば、すごいことをしていたなあと思います。

そのときに、まめに絵葉書を送ってくれたり、私や妹のために
お土産をたくさん買ってくれたりしていました。

父が海外に行くときに羽田に見送りに行ったこともありましたが、
もう帰ってこないのではないかと、私は泣いたことを思い出しました。

それから、私が小学校のころ体が弱くて、しょっちゅう熱を出していたときは、
母によく電話を入れて私の様子を聞いてくれていました。

また父は、おいしいものを食べることが大好きで、小さいときから
贅沢なレストランに連れて行ってもらいました。

それから一番私が父にしてもらったことでうれしかったことがありました。
息子が小学校低学年のころ遊びに行った先で自転車の鍵をなくし、
困って父の家に電話をしたところ、父が迎えに行って自転車を車に積んで
くれたのでした。

その話を聞いたとき、私にはそんなことをしてくれたことはなかった
けれど息子のために動いてくれたことは、私がしてもらったような
嬉しい気持ちになりました。

ほかにも父にしてもらったことはいろいろありました。
私は父に愛されていたんだと気付くことができたのでした。

しかしながら、やさしい言葉を一切かけることをしなかった私。
いつも仏頂面で、可愛げがなく、父の言うことを聞かなかったので、
父が私に取っていた態度は仕方のないことだったと思います。

そうすると申し訳ない気持ちが一気に溢れ出して来ました。

父は亡くなる3日前に調子が急に悪くなりました。
調子が悪くなった日、本当は父と話をしようと約束していたのです。
めずらしく、その2週間ほど前に父から電話があって、
話したいことがあると言って約束をしていたのでした。

父は自分がもう長くないと分かっていたんだと思います。
だから私と和解したかったんだと思います。

それができずに、父は3日後亡くなったのでした。

「お父ちゃん、やさしくしてあげれなくてごめんね。
ほんまにナオミを作ってくれてありがとう。
お父ちゃんのおかげで幸せな人生を送っています」
と生きている間に言いたかったです。

私は父に手紙を書いてお墓の前で父に自分の思いを読みました。
その手紙を読み終わったあと、本当に気持ちがすっきりしました。

ずっと私は自分の気持ちに蓋をしていたのが分かりました。
その蓋を開けて、自分の気持ちに正直になったとき、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

長い間の重しが取れて私の気持ちは晴れやかでした。
このことに気付けて本当に良かったです。

この2回のシフトは、私の生き方を大きく変えてくれました。

1回目のシフトで自分を縛っていた価値観を手放せました。
2回目のシフトで自分が不可能だとあきらめていたことは
自分が壁を作っていたからだったんだ気付きました。
全ては私が作っていた世界だったんだと。
そのことに気付いてから、私は会社でも気持ちの変化がありました。

社員のみんなとの関係性において、私は本気で関わっていなかったことに気付いたのです。
自分ではそれまでちゃんとやっていたと思っていたのです。
でも控えていました。

この人たちが本当に幸せになるには私はどうしたらいいのだろうと
本気で考えるようになり、積極的に関わりを持つようにあり方が変わり始めました。

いままで言い難くかったことも、相手のことを思って言うべきことは
言うという自分になってきました。

今回、自分の壁を突破することを知ったことで、
「自分にはいくらでも可能性がある。
そして影響力があり、人に貢献できる人間である。
自分の人生に責任を持って生きることで自由になる。」

そしてそのことは誰でも可能なんだとわかりました。
それを今リーダープログラム(前回のメルマガをお読みください)で、
自分の人生のリーダーになりたいと手を挙げたメンバーに伝えています。

みんながこのことを理解したら、会社全体が大きくシフトしていくでしょう。
そうしたら、ナオミは日本に大きく貢献する会社になっていくのだろうと思います。

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